「菓子職人の丘」DETENTE

水没した旧店舗は、築数十年の木造土壁瓦葺きの在来工法の民家だった。同一敷地内での異なる場所での新築だから、工法もスタイル(様式)も一旦は自由であったかもしれない。しかし、古民家で営業をつづけてきた、こととの時間軸的な一貫性が欲しい、長年のお客さんとの繋がりを大事にしたい、と若いパティシエの思いがあった。 新しく作るが、どこか古いもの。その「どこか古いもの」をどのように表現するか、の選択や微妙なサジ加減が、設計の軸足となる。まずは、「ノコギリ屋根」。人口照明が高価であった時代の名残であり、ある意味過去の産物である。である。そのカタチを、率直に用いる。そこに、土蔵一般の軒先〜妻部のカタチを引用+加算する。必然のように、壁は、地元の土を塗る。(竹木舞下地ではなく、ラスモルタル下地) そして、土庇には、地域の縁あるところから譲り受けた古瓦を載せる。土葺き用のものであったから、石材用のドリルで穴を開けて、コーススレッド止めの桟瓦とする。野地板を省略して、軒裏は瓦の裏が直に見える工法とした。 木や土や漆喰、瓦、藁といった在来的素材や工法をコラージュしながら、真鍮やアルミなどの非鉄金属含む鉄部を挿入する。やわらかい素材が洋菓子という口に含んで溶けていく感覚を呼び覚ますようであればとの思い。またアイアンワークによる硬い素材の造作物は、単純な地域の古民家の作りではなく、洋菓子店としての西欧的なイメージの何某か、を匂わせるものとして。 これらに共通するのは、全て、朽ちていくものである。例えアルミであっても、時間の変化があると、考える。それらの様相の多くは、受け入れられないものであるかもしれないが、一方でそれは当然の摂理として、むしろ、そうならない方が不自然なもの、という受容的な態度が、これらの決定プロセスの深いところにあったように思う。無常感に基づいている、とまでは言わないが、日本の風土の上に育つ洋菓子店である。 2008年、この地に生まれ育ったオーナーパティシエは、ここに小さな木造の小屋を用いて、DETENTE=フランス語で「くつろぎ」という意味の洋菓子屋さんをオープンした。しかし、2019/9/6に続き、2021/8/14と二度の六角川の氾濫により、店は、二度、水没した。川の治水が根本的に難しいということから、お店を高台に移す検討をするも、パティシエはやはり、同じ場所での営業を選んだ。 浸水を免れるとされる高さはGLから2m。そこまでをどのように嵩上げするか、いくつかの方法を検討した上で、地域の浚渫土によって人工的な丘をつくり、そこに建物が載っている、という風景を作ることになった。 これまでのお店には「菓子職人の小屋」という接頭語がついていた。建物と人間の営みとが一体となったようなイメージが沸々とする響きだ。建物の面積は2倍以上になる。「小屋」と言い続けるには少々大きくなる。新しい建物には、その屋根の下で何かを作っている、というイメージのノコギリ屋根(木造工場の形)を採用した。この屋根が生まれた原理は、大空間に一定間隔で北側から安定した自然光を取れることのできる形であるから、同様に、各室もれなく、片流れの頂部から自然光を採り入れることにした。 さらには、その勾配屋根の連続を活用して、太陽光パネルを設置している。作って売る空間は、日中、コンスタントに電力を用いるから、可能な限りそれは、屋根の形状から生み出そうということである。 三棟連結のノコギリ屋根の木造が、人工の丘の上に建っている。お店の名前の冠は、「菓子職人の丘」となり、場が一周り大きくなった。ただ単に、水害に備えるだけの店舗の新調を超えた、再々スタートである。

メンバー

クレジット

  • 設計
    設計+制作/建築巧房 高木正三郎
  • 施工
    ホームテラス 稲富太郎
  • 構造設計
    アトリエ742 高嶋謙一郎
  • 撮影
    設計+制作/建築巧房
  • 監修
    梅木誠太郎商会 梅木誠太郎

データ

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