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夏木立の家 カラマツという名の木をご存じだろうか。 日本の針葉樹では唯一、黄葉し、葉を落とすことから、「落葉松」と書くこともある。 八ヶ岳にはカラマツが多い。 秋は、細く小さな葉が焦げ、サラサラと舞い落ち、山道を茶に染める。 冬は、通直な幹と整然と並ぶ枝が、寒さに耐えることに特化したように、愚直に立ち続ける。 春は、忘れずに新緑の葉をのばす。木の下に入ると、ほのかに果実の香りがする。 そして、夏は、緑を濃くし毅然とした姿となる。その木立は、自然ではあるが、どこかしら整然としていて、見るものに安心感を与える。 そんな移り変わる木々の中に、夏木立の家はある。 家の屋根は、空に向けて緩やかに登っている。まさに、鳥が翼を広げ、飛び立つ前の様のようだ。登りきった屋根の先には、大きな開口があり、軽やかだ。そこには、何もないので陽も雨も風も入る。玄関先で見上げると、屋根の間から青い空が見える。 家の外壁には、ポプラの板が几帳面に張られている。節もなく、狂いもなく、塗装され、特に主張することなく、家に落ち着きを与えている。 家の北側には、コンクリートの壁があり、持ち出す屋根を支えている。2本のスリットの入ったその壁は、森の中にあっては、異質であるが、構造として大きな安心感がある。 家のエントランスは段差がない。靴箱もない。ガラスとタイルと建具と少しの暖房。質素で潔い。一つの建具は収納だが、もう一つは隠し扉のようで、開くと階段が現れる。踏み板から蹴込み板までモコモコした絨毯が張られていて、羊の背中を登っていくようだ。その先は、書斎のあるロフトにつながっている。 ゆったりとした廊下は、リビングや洗面、浴室につながり、構成に無駄がない。家の中心にある、このたった2㎡の空間にゆとりを持たせることに、設計者の知恵が垣間見える。 UTから洗面脱衣室、浴室へは、同じ床で繋がっている。タイルとガラス、白い壁と天井、照明と水栓、浴槽と洗面台、引出しとタオルウォーマー。それらの位置や大きさ、意匠と機能が吟味され、無理も無駄もない。 リビングと四畳半の和室は三枚の障子で仕切られていて、それらは開けると全てが、壁に飲み込まれる。部屋と部屋は、一体であって、分離している。畳部屋と障子という、和の建築の伝統的な要素が、この極めて現代的な住宅の中心で表現され、バランスしている。 そして、寝室とWIC、キッチンとパントリー。それぞれが、リビングとつながり、素直な思考のもとに区分けされ、配置されている。 朝のキッチンが明るく。 昼のリビングが暖かく。 夜の寝室が落ち着く。 摂理に忠実に従う心がこの家にはある。 でも、やっぱりリビングだ、この家は。 その部屋に入る、いきなり緑が飛び込む。垂れ壁や袖壁など、余計なものを排除した開口は、内と外の境界を曖昧にし、錯覚を生む。それは、住人が、雨の日も風の日も、どこか、知らぬ顔で自然の中に存在し、ゆったりとその移り変わりを感じることのできる羨望の空間だ。 そして、ガラスで仕切られた中と外、庭に立つ人と、部屋に座る人。ふたりが感じる互いの存在感は、やかましくもさびしくもない。薪割り斧を振り落とし、ふと中を眺める、文庫本を閉じ、ふと目を外に移す。 目が合うだけで、 「お茶にしましょうか。」 と、ふたりの心が通う。 森を切り開くことから始まったこの家は、その破壊の修復とともに、月日を重ねながら、徐々に自然に溶け込んでいくことだろう。無機質なコンクリートや鉄も、厳しい高原の天候や力強い植物の生命力により、ゆっくりであるが確実に調和していくだろう。 そして、いつしか、そのカラマツの夏木立は、あたかも、あらかじめ、その建築が予定されていたかのように、家を暖かく包み込み、住人はもちろん、ときおり訪れる設計者や大工を笑顔にすることだろう。